「仏教を開いたお釈迦さま(ブッダ)って、愛する妻子や両親を置いて城を出ていったらしいよ」
そんなエピソードを聞いたとき、「えっ、自分の家族を見捨てるなんて、ずいぶん身勝手で冷たい人だったんじゃないの?」と疑問に思ったことはありませんか?
将来の国王という約束された地位も、大切なわが子や妻も手放して、29歳で修行の道に入ったブッダ(当時のシッタルタ太子)。実はその行動の裏には、20年以上にも及ぶ深い苦悩と、「本当に大切な人を根本から救いたい」という、どこまでも温かい決断があったのです。
今回は、ブッダがなぜ家族を置いて旅立たなければならなかったのか、その知られざる心情とエピソードを分かりやすくお届けします。
平穏な太子が直面した「生きることの切なさ」
ブッダはもともと、一国の太子(シッタルタ太子)として何不自由のない恵まれた生活を送っていました。そんな彼が城を出るきっかけとなった、2つの有名な出来事があります。
弱肉強食を目の当たりにした「耕転祭(こうてんさい)」
幼い頃、国のお祭りである「耕転祭(農耕祭)」に参加したときのことです。 土の中からひょっこり顔を出した1匹の虫を、小鳥がついばんで飛び立ちました。すると今度は、空から大きな鷲(わし)が飛んできて、その小鳥を鋭い爪で捕まえて飛び去ってしまったのです。
周りの人々が歓声をあげる中、太子だけは深く胸を痛め、その場を離れてしまいました。
虫も小鳥も、食べられるために生まれてきたわけではないのに、なぜこんな理不尽な目に遭わなければならないのか
強いものが弱いものを一方的に奪う世界(弱肉強食)で、生きものたちは何のために生きているのか
さらに太子は、「これは動物だけの話ではない」と気づきます。 自分は王族として何不自由なく暮らしているけれど、その足元には、一生自由に生きられずこき使われている奴隷や、飢えに苦しむ庶民がいる。自分もまた、人を犠牲にして生きているのではないかという深い「罪悪観」を抱くようになったのです。
人生の変えられない現実を知った「四門出遊(しもんしゅつゆう)」
青年になった太子は、城の4つの門から外に出る機会がありました。
東の門: 腰の曲がった「老人」を見てショックを受ける
南の門: 苦しんでいる「病人」を見てショックを受ける
西の門: 葬式の列で「死人」を見てショックを受ける
北の門: 老・病・死を超えた本当の幸せを求める「修行者」に出会い、強い衝撃を受ける
人間は誰しも、年老いて、病気になり、やがて必ず死んでいきます。 ミステリー小説『そして誰もいなくなった』のように、今この世界に生きている何十億の人たちも、あと120年も経てば誰一人として残っていません。100%すべての人が死から逃れられないのです。
「病気や事故、戦争から家族を守ろうとどれだけ努力しても、最後はみんな死んでいってしまう。ならば、人間にとって本当に解決しなければならない根本的な大問題は『死』そのものではないか」
仏教では、これを「無常観」といいます。自分の儚い命を真面目にみつめることです。
太子は、誰もが目を背けているこの大きな問題から目をそらさず、修行者となって解決の道を見つけ出すことこそが自分の進むべき道だと決意しました。
泣き崩れる家来と、太子の涙の決断
29歳の夜、太子は密かに城を抜け出しました(出城入山)。 悲しみに暮れた父・浄飯王(じょうぼんのう)は、家来のリーダーである憍陳如(きょうちんにょ)たちに太子の捜索を命じます。
「残された家族を考えたことがあるのですか!」
必死の捜索の末、憍陳如たちは修行の森(苦行林)で太子を見つけ出しました。 しかし、そこにいた太子は、過酷な修行によって骨と皮ばかりにやせ衰えていたのです。その痛々しい姿に涙しながら、憍陳如は必死に城へ戻るよう懇願します。
「あなたは修行で幸せになれるかもしれませんが、残されたご家族の気持ちを考えたことがありますか!お父様も心配のあまり寝込んでしまわれました。奥様のヤショダラ姫は泣き暮らし、幼いラーゴーラさまは『お父さんはどこへ行ったの?』と泣いているのですよ!」
20年以上も苦しみ抜いた末の旅立ち
その言葉に、太子は「本当にすまない」と胸を痛めます。 将来の国王として期待され、両親にも愛され、愛する妻や子どももいる。普通なら、家族を置いていくなんて到底できることではありません。
太子は決して冷酷だったから城を出たのではなく、幼少期から20年以上もの間、ずっと悩み、葛藤し、苦しみ抜いた末の決断だったのです。
太子は静かに、しかし熱を込めてこう語りかけました。
「おまえたちには分からないのか、あの激しい無常の嵐が、まだ分からないのか。ものはみな常住しないのだ。いずれの日にか衰え、いずれの日にか亡ぶのだ。快楽のかげにも無常の響きがこもっているのだ。美女の奏する弦歌は欲をもって人を惑わすのみだ。三界は悩みのみ、猛き火のごとく、浮かべる雲のごとく、幻や水泡のごとし。若きを愛すれど、やがて老いと病と死のために壊れ去るのだ」
太子の鉄のような固い決意を前に、憍陳如はこれ以上連れ戻すことはできないと悟りました。そして父・浄飯王の「過酷な外の世界で無事でいられるよう、そばにいてやってくれ」という親心を受け止め、憍陳如ら5人の家来(五比丘)は、太子とともに修行の道を歩むことになったのです。
なぜ家族を置いていったのか?「道ぶしん」の深い意味
ブッダが家族を離れた理由を理解するのに、とてもわかりやすいたとえ歌があります。
「通さぬは 通すがための 道ぶしん」
「道ぶしん」とは、道路工事のことです。 もし道路に大きな穴が空いていたら、車が安全に通れるように工事をしなければなりませんよね。その工事の間は、いったん道路を「通行止め」にして、遠回りをしてもらいます。
通行止めにするのは、意地悪や嫌がらせをしたいからではありません。これから先、みんなが安全にスイスイと通れるようにするために、一時的に止めているだけなのです。
ブッダの出家も、まさにこの「道ぶしん」と同じでした。
目の前の家族と一緒に楽しく過ごしていても、やがて老いや病気、死によって引き裂かれてしまう
本当の意味で愛する人たちを救うためには、誰かが一度立ち止まり、根本的な苦しみを解決する「道」を切り拓かなければならない
太子が城を出たのは、家族を見捨てたのではなく、愛する家族を、そしてすべての人々を心から救うための決断だったのです。
35歳で仏の悟りを開き、約束を果たしたブッダ
その後、35歳で仏の悟りを開いて「ブッダ」となったお釈迦さまは、老・病・死を超えた「本当の幸せ」を体得されました。
そして約束通り、生まれ故郷の城へと戻ります。 父や母、妻のヤショダラ姫、そして息子のラーゴーラにその教えを伝え、彼らもまたブッダの弟子となり、本当の幸せの道を歩むことになりました。多くの国民たちも、その教えに心から救われていったのです。
まとめ
ブッダが妻子や両親を置いて修行に出たのは、決して身勝手な行動でも、冷たい人だったからでもありませんでした。
「大切な人を、絶対に壊れない本当の幸せに導きたい」
その一心で、20年以上もの葛藤の末に立ち上がり、誰よりも大きな慈悲心で道を切り拓いてくれたのです。そしてその道は、当時の家族だけでなく、2000年以上が経った今を生きる私たちのもとへも、しっかりと届いています。
もし今、日々の生活の中で理不尽なことや、先の見えない不安を感じることがあったら、ブッダが人生をかけて向き合った「生死の一大事」に少しだけ心を寄せてみてくださいね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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