【仏教の教え】お墓や葬儀より大切だった!亡き人が本当に喜ぶ「一番の供養」
親を亡くしたとき、「もっと会いに行けばよかった」「もっと電話をすればよかった」と、後悔の念に駆られることはありませんか? 「親孝行したいときには親はなし」という言葉があるように、親が亡くなってから悔やむのは、多くの子どもが経験するつらい思いです 。
「せめてこれから、亡き母に何をしてあげれば一番の供養になるのだろう?」 そんなふうに、やり場のない後悔や悲しみを抱えている方もいらっしゃるかもしれません 。
実は、仏教で教えられている「一番の供養」は、私たちが普段「常識」だと思っているものとはまったく違います 。 今回は、亡くなった人が本当に喜ぶ「真の供養」について、仏教の視点からわかりやすくお話しします。
常識のウソ?お葬式やお墓が一番の供養ではない
世間では、立派なお葬式をあげて長いお経を読んでもらい、大きなお墓を建てることが「一番の供養」だと考えられています 。 「お葬式でお経を読んでもらうことが死んだ人へのごちそうになる」と言われたりすることもあります 。
また、「立派な戒名(浄土真宗では法名)をつけないと安らかに天に昇れない」と言われ、高いお金を払って良い文字をつけてもらう方もいます 。 しかし、お葬式やお墓、戒名には数百万円という大変なお金がかかるのが現実です 。 今の日本には世帯収入が200万円以下のご家庭もあり、子どもの学費や生活費で精一杯な中、これらにお金をかけるのは大変なことです 。
実は、お釈迦様や親鸞聖人は、こうした高額なお墓や儀式に力を尽くされたわけではありません 。 これらを一生懸命にすることが亡き人の供養になるというのは、仏教に対する大きな誤解なのです 。
本当の供養とは「相手が喜ぶこと」をすること
では、本当の供養とは何でしょうか? それは「亡くなった人が望んでいること、喜ぶことをする」ということです 。
誰かに感謝の気持ちでプレゼントを贈る時を想像してみてください 。
タバコが嫌いな人に、タバコを贈っても喜ばれませんよね 。
服の好みが違う人に、高いお金を出して服を贈っても喜んでもらえません 。
逆に、甘いものが大好きな人に美味しいチョコレートを贈れば、目を細めて喜んでくれます 。
供養もこれとまったく同じです。恩返しをしたいなら、相手の喜ぶものや望んでいるものを贈ってこそ意味があります 。 亡くなったご両親やおじいちゃんおばあちゃんが「何を望んでいるか」を知ることが、一番大切なのです 。
亡き親が、あなたに本当に望んでいること
亡くなった親は、残された子どもや孫に何を望んでいるでしょうか 。 「ごちそうを食べさせてほしい」「広い家を建ててほしい」なんて、きっと思っていませんよね 。
親が心から望んでいるのは、次のようなことです。
どうか幸せになってくれよ
間違った道を進まずに、立派に生きてくれよ
毎日笑って、健康で元気でいてくれたらいい
人の心の痛みがわかる、友人を大切にする人になってほしい
つまり、「正しく生きて、幸せになってほしい」というのが親のたった一つの願いです 。 あなたが「生んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう」と心から言えるような本当の幸せになること 。
「人身受け難し、今すでに受く」(釈迦)
人間に生まれることができて本当によかった。
この幸せになることこそが、親にとって最も嬉しく、亡くなった人の一番の供養になるのです 。
まずは「あなた自身」が救われること
さらに仏教の『歎異抄(たんにしょう)』には、亡くなった父母を救うにはどうすればよいかについて、親鸞聖人のお言葉が次のように記されています 。
「ただ自力をすてて急ぎ浄土のさとりを開きなば、六道四生(ろくどうししょう)のあいだ、いずれの業苦(ごうく)に沈めりとも、神通方便(じんづうほうべん)をもってまず有縁(うえん)を度すべきなり」(親鸞聖人)
少し難しい言葉が並んでいますが、その意味を順番に紐解いていきましょう。
ただ自力をすてて急ぎ浄土のさとりを開きなば ここでいう「自力」とは、阿弥陀仏の本願を疑う「計らい心」のことです 。 この自力の心を早く捨てて、生きている今、阿弥陀仏のお力(他力・本願力)によって「絶対の幸福」にさせていただきなさいよ、と言われています。 この絶対の幸福は仏教の言葉で「往生一定(おうじょういちじょう)」とも呼ばれ、死後に浄土へ往き、仏に生まれることがハッキリするのです 。 この幸せになった人は、死ぬと同時に浄土へ往き、仏のさとりをひらくことができるのです 。
六道四生のあいだ、いずれの業苦に沈めりとも 「六道四生」とは迷いの世界のことです 。 亡くなった父母が、どんな迷いの世界でさまよい、苦しみに沈んでいようとも、という意味になります 。
神通方便をもって、まず有縁を度すべきなり 「神通方便」とは、仏が苦悩の人々を真実の幸福へと救う力のことです 。 生きている時に絶対の幸福になった人が、死後に仏となれば、その仏の力(神通方便)によって、縁の深い人々から救うことができるのだと教えられています 。
溺れる人を助けるには、まず自分が安全な場所へ
海で溺れている人を助ける時のことを想像するとわかりやすいでしょう。 自分も一緒に溺れていたら、人を助けることはできませんよね 。溺れる人を助けるには、まず自分が安全なところに立たなければなりません 。 そうなってこそ、溺れ苦しんでいる人を本当に救うことができるのです 。
これと同じように、亡くなった人を救うには、まず自分自身が阿弥陀仏のお力によって救われることが不可欠であると、『歎異抄』の中で教えられているのです 。
まとめ
亡くなった人への一番の供養は、無理をして立派なお墓を建てることでも、高い戒名をつけることでもありません。
今を生きるあなたが「人間に生まれることができて本当によかった」という幸せになり、「生んで育ててくれてありがとう」と両親に心から感謝できる身になることです。
もし今、「もっと何かしてあげたかった」と後悔の念で苦しんでいるなら、まずはあなた自身が前を向き、幸せになる道を歩んでくださいね。
それが、お母様やお父様が一番望んでいるプレゼントになるはずです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この記事が少しでも、大切な人を亡くされた方の心が軽くなるヒントになれば嬉しいです。
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